不登校という生き方

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45年前、不登校という言葉もなかった頃。

今から、45年前
私は小学校へ行けなくなった。

小学校1年
1〜2学期の間に
なついていた先生が産休をとった。
そのあと、次々に先生が変わった。
4〜5人、変わったらしい。(私は覚えていない)

私は
学校へ行けなくなり、
ランドセルをしょって
玄関をでると
そのまま、外にある物置に隠れた。


いつか、それも見つかり
母が担任に相談した。
そのころは、不登校という言葉すらなくて
登校拒否の流行の先端を行った私を
理解してくれる人は
そうそういなかった。

クラスの担任は
母に「ぶってでもいいから、連れてきてください」と言った。
私は、初めて、母にぶたれた。

それでも私は
学校へ行かなかった。

ある日、母が私に言った。
「あなたでも、いける学校を見つけて来たよ」と。

そして
私が母に連れられて
門をくぐったのは
カトリックのミッションスクールだった。
その頃の札幌では、珍しく、小学校から私立で
場所も山の上だった。
小学1年生の私、バス、市電、バスを乗り継いで
通うことになった。

最初は
母が教室まで付いてきてくれた。
母が教室からそっと出ていくと
私はあわてて追いかけた。

クラス担任は
修道女だった。
母が、私をこの学校に入れようとしたのも
この修道女の言葉がきっかけだった。
その修道女(その頃はマザーと呼んでいた)は
母に「良いお嬢様をありがとうございます。お預かりいたします」と言ってくれたそうだ。

学校に行けなかった問題児の私を
「良いお嬢様をありがとう・・」と言われた
母は、本当に嬉しかったそうだ。

その方は
マザー柳下という方で
その方のおかげで私は何とか、学校に通い続けることが出来た。

マザー柳下は
私がしゅんぼりしていると
授業の後に
おどけて、良く、笑わせてくれた。

私の心は、少しづつ、和らいで行った。

登校の時は
上級生(お姉と呼んでいた)の一人が
いつも、一緒に行ってくれた。

寒い時は
手を温めてくれたり
いろいろ、優しく気づかってくれた。


こうして、始まった私の登校生活は
8年後に
本格的不登校生活を迎えることになった。

(続く)




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