何でもいいから語学をやろう!

不登校で悩んでいたころ私が
元気になった言葉に
「東京がだめなら
 大阪があるさ」という言葉でした。

それを教えてくれた人に
励まされ
「もし日本で生きにくくなったら
海外に行けばいいさ」と
思えるようになりました。


そして
そのためには世界共通語と言われる「英語」を
しっかり独学しようと思いました。



自分の世界をただ広げたかったのです。


あれから
40年近くが経とうとしています。


翻訳の勉強を通信でやって
英語翻訳の資格を取りました。



今はフランス語と
アラビア語を勉強しています。


不登校で
日本での学歴に
悩んでいる人。。。


いっそのこと
海外を相手に
世界を広げてみませんか。



もし、世界共通語と言われる
英語が苦手だったら
ほかの言語でもいいのです。


国連の公用語は6言語あります。。
アラビア語・ロシア語・スペイン語・中国語・フランス語・英語です。


この中から1か国語、
好きになれる言語を探してみてください。


何かの役に立つはずです。




とかく閉塞感を持ちがちな不登校生活。。。

語学で風穴を開けて

世界に目を向けて

ちょっぴり夢を持ち

深呼吸してみませんか?



アラビア語楽しんでください。http://karinnmama.hatenablog.com/
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「学校からいじめがなくならないシンプルな理由」

「学校からいじめがなくならないシンプルな理由」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50919?page=4


共感した箇所を抜粋します。

「問題の本質は、学校が迫害的な無法状態になりがちな構造にある。」

「認定すべきは、犯罪であり、加害者が触法少年であることであり、学校が犯罪がやり放題になった無法状態と化していたことだ。そして責任の所在を明らかにすることだ」

「しかし学校を、外の広い社会と比較して考えてみると、数え切れないほどの「おかしい」、「よく考えてみたらひどいことではないか?」という箇所が見えてくる。
逆に社会では名誉毀損、侮辱、暴行、傷害、脅迫、強要、軟禁監禁、軍隊のまねごととされることが、学校ではあたりまえに通用する。センセイや学校組織が行う場合、それらは教育である、指導であるとして正当化される。

正当化するのがちょっと苦しい場合は、「教育熱心」のあまりの「いきすぎた指導」として責任からのがれることができる。生徒が加害者の場合、犯罪であっても「いじめ」という名前をつけて教育の問題にする。

こうして、社会であたりまえに許されないことが、学校ではあたりまえに許されるようになる。

学校は「教育」、「学校らしさ」、「生徒らしさ」という膜に包まれた不思議な世界だ。その膜の中では、外の世界では別の意味をもつことが、すべて「教育」という色で染められてしまう。そして、外の世界のまっとうなルールが働かなくなる。
学校も、オウム教団も、連合赤軍も、それぞれ「教育」、「宗教」、「共産主義」という膜で包み込んで、内側しか見えない閉じた世界をつくっている2。そして外部のまっとうなルールが働かなくなる。よく見てみると、この三つが同じかたちをしているのがわかる。」

「外の世界のまっとうなルールが働かなくなる
たとえば、学校とオウム教団と連合赤軍をつきあわせて、普遍的なしくみを導き出すことができる。」

「こうして考えてみると、学校について「今まであたりまえと思っていたが、よく考えてみたらおかしい」点が多くあることに気づく。

これらのポイントに共通していえるのは、クラスや学校のまとまり、その場のみんなの気持ちといった全体が大切にされ、かけがえのないひとりひとりが粗末にされるということだ。
わたしたちは長いあいだ、学校で行われていることを「あたりまえ」と思ってきた。あたりまえどころか、疑いようのないものとして学校を受け入れてきた。」

「子供にとって学校だけが社会じゃありませんから」

11才の哲学者・パオ君(中島芭旺くん)のお母さんの言葉


「毎日毎日、学校で否定されて帰ってくる芭旺を見て

私は『あなたの行動は否定されているけど、

あなたという存在が否定されたわけではないんだよ』

ということはずっと言っていました。

そうして芭旺のほうから『学校には行きたくない』って言われて…。

私は『やっと言えたね』と言いました。

だって、子供にとって学校だけが社会じゃありませんから」

http://www.news-postseven.com/archives/20161021_458819.html?PAGE=2

シンガポールの教育事情

http://blogos.com/outline/204370/

シンガポールの充実した教育制度について

書かれてあった。

生涯を通じて

金銭的負担が少なく

学習し続けることができるのは

勉強が好きな人間にとっては

嬉しくありがたいことだ。

そういう点では

良い話にも聞こえる。



ただ、私が気になった点は

教育に過剰に熱心になることで、

勉強に向かない子供や勉強嫌いな子供の存在が

許されているかどうかということだ。

学校の勉強に個性が向かない子供もいるだろう。

学校の勉強に向かない子供の存在を

どういう形でフォローしているのだろうか?

義務教育の義務を果たさない場合の罰則は?



どちらにしても

国が率先してやることは、どうも危なっかしい。

国がやることが強制や圧力に容易に変わり、

子供一人一人の人間性や多様性、

心の健康的な発達を捻じ曲げることがあるからだ。

勉強する権利と

勉強しない権利との

どちらもが保証されることが望ましいと私は思う。

不登校体験談音声④


不登校体験談は16分52秒から。【源らじ】不登校特集④ きなこ様の大学生時代 【2016年12月6日20-21時】 https://youtu.be/leMIGXXsNWk @YouTubeさんから
プロフィール

Author:芳岡幸
 私は50年前、不登校児でした。娘二人も、元不登校児。
 
 長女(https://www.facebook.com/akari.sasaki.mei)は自立し自分の人生をユニークに構築しています。
 次女は義務教育は累計1年しか体験せず、独学で高校認定試験に合格し、アルバイト傍ら今は自費で放送大学に在籍中です。
 
 私を含め、3人とも不登校経験を誇りに感じています。(^^)



最近こちらに、不登校関連の言葉を書いています。
https://twitter.com/risa_shannti

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